Happened-11 Journal
SHUTA HASUNUMA, NOBUKAZU TAKEMURA
Correspondence

蓮沼執太と竹村延和の
往復書簡

竹村延和さんへ

ご無沙汰しております。蓮沼執太です。お元気でしょうか?

竹村さんとは2016年1月に京都芸術センターで開催したタブラ奏者のU-zhaanとのイヴェント『Tabla the World』(いま考えると、すごいタイトルですね…笑)の中でスペシャルゲストとしてお呼びし、3人で即興演奏をさせていただきました。その時の竹村さんはエレクトリック・ギターとタッチパネルのPCを使いながら電子音を演奏してくださいました。個人的には、そのイヴェントの以前にも、京都のレストランでお話しをさせていただいたりしていましたが、こうやってメールでの、書き文章で意見交換をさせてもらうのは初めてかもしれません。

その2016年の京都芸術センターでの公演の前後に開催されていたホテル アンテルーム京都での展覧会『Einheit|アインハイト』はとても興味深い個展でした。アインハイトはプレスリリースにもあるように、綜合や統一という意味を持つドイツ語で、絵画、音、映像、言葉などのメディウムとしてのフラグメントが交差する試みかと思います。竹村さん自身2008年からドイツと京都が拠点となって活動をされており、その環境の往来が作品への問題意識や制作の動機になっているのかもしれない、と展示を拝見させてもらいながら思ったものでした。

僕自身も2017年からNYに滞在することが多くなり(昨年は半分以上、東京におりましたが)、環境が変化すると同時に自分の中での作品に対する課題や方向性に何かしらの変化を与えているのは確かです。そういった認識から辿ってみると『Einheit』という言葉からは、ベルリンにおける西ドイツと東ドイツの統一という政治的な側面だったり、土地に内在する時間の層に対して、作品コンセプトの根底があるのかな?などと勝手に考えてしまいます。

前置きが長くなりましたが、とてもシンプルな質問からこの対話をスタートさせていただきたいです。竹村さんご自身が身を置かれる環境の変化、場所の変化によって、作品や活動に与える影響は大きいのでしょうか? もし印象的な出来事や思うことがあればお聞きしたいです。またドイツという国を選ばれたこともお聞きしたいなと思います。今から約10年ほど前のことになるので、現在のドイツを含むヨーロッパの情勢とは異なると思うのですが。

いま竹村さんの音楽を聴きながら、京都の哲学者・西田幾多郎の著書を再び紐解いています。西田といえば、京都の「哲学の道」を想像しますし、そういったムードに触れながら竹村さんの音楽を聴いて、思考を深めています。お返事お待ちしております。

蓮沼執太
2019年1月23日、NY自宅にて