FEATURE

INTERVIEW with MAYA AKASHIKA
at the gallery

Photographer

写真家 赤鹿麻耶
「いつも求めているのは、なんか変な感じ。それが頼り」



いつだってファンタジーとイマジネーションが大事。写真家・赤鹿麻耶さんの作品を見ているとそう思います。現在Happeningsは京都で彼女の『ときめきのテレパシー』展を開催しています。まるでコントの一コマを切り取ったようなポートレイトや、ギョッとするアジアの風景写真など、一筋縄ではいかない、ように見える作品たち。そのユーモアとガッツはどこからやってきたのか? ここではあらためて彼女はどんな写真家なのか? をご紹介します。まず写真に興味を持ったところから。



ーー写真に興味を持ったキッカケから教えてください。学生時代に「写ルンです」で撮り始めたとか?

なーい。そういうの。ずっとスポーツが好きで。中学も高校もずっとソフトテニスやってたから。ペアでやるんやけど、私は途中から前衛になってスマッシュ決めたり。もう泣いたり笑ったり。

ーー青春。

ほんまの青春ですね。ソフトテニスはお嬢様っぽいテニスじゃなくてヤンキーな感じというか。よっしゃ、こい!みたいな。まったく強い学校ではなかったけど。部員の中では頑張ってた方やと思う。

ーー高校は大阪市内の?

松屋町の南高校。心斎橋も近くて部活の帰りにタピオカ飲んだり(古着店の)[HANJIRO]に行ったり。毎日、菓子パン3つ、アイス3つは食べてた。あとファッション誌をよく見てて。本屋で立ち読みで『VOGUE』とか見てた。

ーーそれが写真との出会い?

いや、ただ良いなぁと思って見てただけ。ファッション誌の写真って絵みたいでイケてるなって。家で切り抜いてスクラップしたり。特殊メイクで涙が出てるブランドの広告とか。なんの意識もなく。ただ絵みたいで良いなと思ってただけ。

ーー絵みたい、というのはその後の写真家としての肝になってきそうな。大学は関西大学の文学部へ行かれたんですよね?

文学部の中国語文学。

ーーなぜ中国だったんです?

南高校はちょっと変わった高校で、中国の上海や杭州への研修旅行があって。それがめっちゃ楽しくて大興奮。古いもの、新しいもの、エネルギッシュなパワーとちょっと物悲しい感じが同居しているところに惹かれて。でも当時の中国は人気なくて。うちのおかんも、なんで英語じゃないの?って言ってたのを覚えてる。3回生から東アジアの映像文化論コースに移ったけど。


ーー大学で写真部に入るんですよね?

最初はソフトテニス部に入ろうと思ったけど、そんなに才能があるとも思えなかったし。あと私めっちゃ筋肉質で、ふくらはぎとかどんどんデカくなってきてたし。それで美術部とか演劇部とか文系の部活を見学したけど、写真部がいちばん奇妙な感じがして。

ーー奇妙な感じ?

部室に入ったら、顔にピアスだらけの人とかレトロな人とか、ただタバコ吸いに来てるだけの人とかがいて。大学の中でいちばん華やかではなかったけど、そこに惹かれて。私はイケイケな感じではなかったから、なんか写真部が落ち着く感じがして。

ーー雰囲気で入部?

そう。だからまったくゼロの状態でカメラも持ってなかったけど、親戚が写真館をやってたんかな? その親戚からカメラをもらって。キヤノンの古いカメラ。

ーー写真部ではどんな活動をされていたんです?

最初は先輩たちが写真を撮りに行くツアーに連れ出してくれて。みんなで外をぞろぞろ歩いて、花撮ったり空撮ったり、イェー!って友達の顔を撮ったり。暗室の使い方も教えてもらった。けど今考えるとそれがめちゃくちゃで。直接触ったらあかん薬品とかもがしゃがしゃ触ってた。

ーー最初は花とか空とか撮るんですね?

それが途中から何も面白くなくなって。だから今の写真の作り方に切り替えた。気付いたら包丁を学校に持って行ってた。

ーーそしてナイフを持って立ってた、みたいな。

撮影用のアイテムで女の子たちに持たせて撮ったり。高校の頃に見てたファッション誌が写真というものだと思ってたから写真は撮るもの、じゃなくて作るもの、と思ってた。写真でみんなをビックリさせるでー!という気持ちで。


ーー驚かせたくて?

月に1回、写真部で品評会が部員内であって。ひとり1作品、タイトルを付けて持っていくことになっていて。そこで先輩からボロカス言われたり。今から考えたら、みんな写真のことなんにも分かってないし、私もわけ分かってないのにコメントしたりして。

ーーその頃、どんな作品を撮っていました?

24時間を表現した写真とか。24時間ごはん食べたいし、音楽も聞きたいし、友達とも喋りたいし、メイクもしたいし。それを1枚に詰め込んでみましたみたいな。今見ると、むちゃダサい。


ーー大学でがっちり写真にハマった、と。

時々、先輩から「ええやん」って褒められたり。それまでなにが得意ということもなかったけど、私もなにかできるんかも?と思って。やる気出まくり。その頃は1mmの疑いもなく純度100%で自分の写真を良いなと思ってた。

ーーその情熱で写真部の部長になるんですよね?

情熱が続きまくり。でもみんなと一緒に遊んでただけ。後輩には触ったらあかん薬品を触るようにも教えてたし。

ーー振り返ると、大学時代はどんなことを学んだと思います?

品評会を4年間繰り返してたから、写真は1枚で見せるもの、1枚ですべてを見せる、ということかな。良くも悪くも。大学卒業後に写真の専門学校に入って、複数の写真で編むとか写真で時間を作るとか、そういうことも知ることになったけど。

ーー影響を受けた写真家はいます?

それがぜんぜんいなくて。写真集とか見なかったし。その後の専門学校時代でも見てない。授業で写真家の紹介とかあったけど寝てた。なぜかあんまり他の人の写真を求めるような感じじゃなかった。

ーー専門学校は西梅田のビジュアルアーツ専門学校ですよね?

その夜間部。卒業して就職する気もなかったし大学の先輩もいたから。でも写真を勉強したい、というより写真しかやることがなかったんやと思う。昼間はHEPの(観覧車の乗客を撮影する)バイトして。

ーー専門学校はいかがでした?

芸術家肌の熱い先生がいっぱいいて。「赤鹿、ここから宇宙が始まるんだよ!」って言われたり。それまで自分の写真を純度100%で良いと思ってたけど、写真を作ることを通して自分を知る、という感じで。ここからが難しかった。

ーー難しかったのはどんなところです?

自分がどんだけ嫌な人間か?が分かったというか。作品を通して自分のズルいところや見栄を張るところとか。どんどん分かるようになってきて。自分は汚い人間や、と。自分を疑うことを知って。でもそれをしないと次に進めないことも分かった。

ーーなるほど。

今考えると、もっと他の写真家や美術のことも勉強しておけば良かった。そのしんどい時期も、参考になる資料が自分の過去しかないみたいな感じ。生きてきた時間も短いのに。

ーー2011年には写真新世紀のグランプリを受賞されますよね? なぜ応募されたんです?

その時期は自己満足で写真をやってるような気分になってきて。よりいっそう写真が楽しくなるために(応募に)出してみてた。その頃、どうやって進めばいいのか?分からなくなってて。だから賞をもらえた時、このまま続けてもいいんやなと思った。

ーー不安になっていた?

自分は大丈夫なんかな?って。周りも、日本の写真家と呼ばれる先輩たちも目の前の事実、景色とか出来事をストレートに撮影してるのに自分はセットアップして嘘ついて、これって純粋な写真って呼べるのか? という後ろめたい気持ちがあったから。専門学校の先生は私にどう教えていいのか、分からない感じだったけど「赤鹿には教えることない。けどがんばれ!」って応援してくれてた。

ーーそもそも今、自分を写真家だと考えます? いつも写真を“撮る”ではなく“作る”と言いますよね?

(写真新世紀のグランプリに)選んでくれた椹木野衣さんには「写真家としてだけでなく、大きな器の中で期待する」みたいなことを言ってもらえたけど。これまで銭湯で展示したり空間に興味を持ったり、絵を描いてみたりしたけど、今は逆に写真への執着がある。だから、なんやかんや言って写真家に戻ってきてるのかな。


ーー今回の展覧会『ときめきのテレパシー』では過去のシリーズからのセレクトとなっています。シリーズは、2011年の「風を食べる」、2013年の「FUTATSUKUKURI」のコレクション作品、2015年の「Big Baby」「Did you sleep well?」、2019年の「Sweet rainy city」、そして2020年のハルビンで撮影された「氷の国をつくる」などなど。

毎回シリーズとして作ろうとは何も思っていなくて。ゴールを決めて作ってないというか。振り変えると、いろんな取り組みはしてきたと思うし、それがシリーズという風に受け止められるかもしれないけど、自分としてはやってることは一緒だと思っていて。

ーーやっていることは一緒、とはどんなところでしょう?

場所+モノ+人の組み合わせで生まれる、新しい感覚を探して作ってきただけ。

ーー新感覚を求めて?

例えば「風を食べる」では風とか煙、火とか形があるようでないものを写真に取り込んで。「Did you sleep well?」ではホームセンターやリサイクルショップにある日常で使うモノの組み合わせを考えたり。「夢」は他人の夢の話から写真を作った。ハルビンでは自分が移動する、という体験を素材に。今は撮ってきた写真を元に作品を制作したり。でもいつも求めてるのは、なんか変な感じがする、っていうこと。それが頼り。

ーーなんか変な感じ?

“なんか変な感じ”を今は別の言葉に置き換えることもできるようになった。けど、そもそも言語化するのは良くないとも思っていて。

ーー言葉は要らない?

作品を言葉で説明することもできる。けど誰かを説得するとか、自分を納得させるとか、そのために言語化しちゃうと結末を思い描きながら作ってしまうことになるから。それは自分の中でやってはいけないことだと考えていて。

ーー言葉が制作を制限してしまう?

もちろんコンセプトから作る写真家の作品に感動することもある。けど私はグレーな部分というか、そこを好んでる。昔は写真が暴走して言葉が追いつかない、というか言葉を知らなかっただけやけど。今は言葉が先だとそれに写真が引っ張られてしまう、ってことにもなりかねないし。


ーー今回の展示のタイトル『ときめきのテレパシー』ですが、これは赤鹿さんにいくつか言葉を出してもらって、その中から選んで付けさせてもらいました。あらためて“ときめき”と“テレパシー”とは?

“ときめき”は目には見えないもの。例えば、かわいいものにときめくだけじゃなくて、怖いもの、タブーとされているものにも、ときめくことはある。普段からなぜときめくのか?を考えることを大事にしていて。“テレパシー”も目には見えないものだけど、それが通じるってことは私が信じているところでもあって。モデルと私のテレパシーでもあるし、作品と作品を見てくれる人のテレパシーもある。だから、展示では、じっーと1対1で対峙して欲しい。なにかをキャッチしてもらえるかどうかは委ねるしかないけど。会場内にテレパシーが張り巡らされていたらいいかなと思う。

ーー今回の展示のメインはビッグサイズ(1500mm×1000mm)のプリントです。そもそも、なぜビッグプリントを始めたんです?

最初は単純で、専門学校で大型プリンターを使えたから。周りの同級生はまったく使ってなかったけど。学校が寛大だった。あと、撮ってるものが自然と大きさを求めた、ということもあると思う。

ーー被写体によって自然とプリントが大きくなった、と。

私の場合、思い出などを追体験できる写真ではなく、一枚の絵としての写真を作りたい気持ちが強くて。写真をひとつのイメージとして独立させたかった。もし旅の記録や家族写真なら、でっかいプリントにする必要はないと思う。今は内容によってサイズを決めていくけど。

ーーひとつの絵をどう伝えるのか? それを考えた結果、ビッグサイズになったんですね。

写真新世紀に応募した「風を食べる」は1メートルのブックだったけど、それも同じ理由で。スケールの大きな海や山をロケ地にして撮ったりしてたから、そのまま体感できるようにするには?って。当時はただなんとなく、おっきい方が気持ちいい!ってぐらいやったと思う。あとは何が写ってるか?より、もっと感覚的なことを残したかった。身体を使ってページをめくってもらうってのは体感に繋がると思って。

ーー山は山。だからでっかく見せたい!と。

そこからは贅沢な話やけど、特に疑問を感じず、いわゆるL版サイズぐらいの気持ちでビッグプリントを作ってました。私はなんか気持ち悪い、ってのには敏感な方やと思うから、もし違和感があれば写真を大きくすることはやめたと思うけど。それに自分としても写真を見るよりも、写真を体感するっていう方がワクワクするし。

ーー今回の『ときめきとテレパシー』展は赤鹿さんにとってどんな機会になりそうです?

今回の展示の作品はちょっと前の私なら許せない並び。でも、写真の繋がりとかテーマとか言語化とか、最近それを先に用意する頭になりつつあったから、そこからやっと解放できた。自分がヤバい方向に行くのを軌道修正できた。あらためて自分にとって良い写真とは?を考え直せたし、自分の中のいろんな良い写真を探した旅ができたというか。1枚の写真で見せるっていうところに立ち返れたたと思う。

ーー過去の自分が思っていたような写真の楽しさに?

そう。いつだって最新作が自分の中ではベストだけど、新しく見てくれる人が楽しんでくれたら。という気持ちもあるから、過去の取り組みも見て欲しい。見てくれる人はいろいろ想像しながら見て欲しいけど、こちらからそれを提示していく、という考えが私の中に生まれ始めたらヤバいと思ってる。というか実際に去年からその考えが生まれてたから、今回それをしたらあかんと思った。写真を勝手な自分の事情に寄せたりするのはやってはいけないことだと思うし、このところ写真がどんどん自分の作品、って感じは無くなってきてるから。

ーーでは最後に赤鹿さんにとって良い写真とは? もしくはそれを考えることとは?

良い写真かどうか? それを考えることは私の作品や制作への態度を前に進めてくれる。もちろん良い写真は作りたいけど、それはいつも見えてない。これからも制作の中でずっと自分と併走してる感じかな。




赤鹿麻耶 Maya Akashika
1985年、大阪府生まれ。2011年、作品「風を食べる」で第34回写真新世紀グランプリ受賞。大阪を拠点に海外を含む各地で個展、グループ展を開催。夢について語られた言葉、写真、絵や音など多様なイメージを共感覚的に行き来しながら、現実とファンタジーが混交する独自の物語世界を紡ぐ。
https://akashikamaya.com


赤鹿麻耶 写真展『ときめきのテレパシー』
会期 2021年 2月25日(木)~ 3月22日(月)、3月24日(水)〜 4月19日(月) 11:00AM - 8:00PM
会場 ホテル アンテルーム 京都 GALLERY9.5(京都府京都市南区東九条明田町7番)
TEL 075-681-5656 https://www.uds-hotels.com/anteroom/kyoto/
企画制作 Happenings
協力 キヤノン株式会社 ホテル アンテルーム 京都 
   京都市「まちじゅうアーティスト」対象事業 一般社団法人HAPS






撮影 中村寛史
https://nakamurahiroshi.net