FEATURE

Soundscape of Izakaya TARU in Kyoto
by KIYOSANA

キヨサナの樽の思い出




先日、こんな音声ファイルが見つかった。
木屋町にあった「樽」という店での録音だ。

「生いっちょう!」
「カレイ焼いてぇ」

お客さんが注文するなり,すぐさま女将さんが復唱して奥の厨房に通す。しばらくしたら奥の厨房から料理が「ヒョコッ」と出てきて,女将さんが持ってきてくれる。大将は生ビールとお会計の担当。たまに、女将さんの妹さんらしき人が手伝っている。全員、80歳近くであろうにもかかわらず営業はなんと深夜2時まで。

「樽」はそういうスタイルだ。女将さんの声はとても心地が良く、その声を聞きたいがために生ビールをおかわりしたくなるくらい。

しかし残念ながら「樽」はもうない。50年近く営業されていたらしいが、2013年5月末で閉店された。「樽」は木屋町の路地を一筋入ったところにあった。木屋町にどれだけ人が溢れていようとも「樽」に人はまばらだった。寂しいというわけではなく、ただ観光客がいないだけ。

私が通い始めたのは、閉店の2年くらい前だったと思う。「今日はいい魚が入りましたよ」とか「今日のおすすめどうですか?」とかいうお店ではない。しかし、ポテトサラダはきちんとポテトサラダで、コロッケはきちんとコロッケだった。昔ながら、というか。至極真っ当、というか。唯一「タル焼き」という名物料理風のメニューがあったが、その下に括弧書きで「(タン)」と書かれてあった。

あれは、閉店が1週間後くらいにせまった5月末だっただろうか、私は友人と何人かでテーブル席で飲んでいた。私は、カウンターにいた男性がお勘定を済ませた後,大将に封筒を手渡すのを見かけた。時期が時期だけに、どんな手紙なんだろうと、友人の話もそっちのけで男性と大将を見つめていた。男性は「また読んどいてください」と言っただろうか。大将は「おおきに」とだけ言って受け取っていた。男性が店を出た後、大将はおもむろに先ほどの封筒を割烹着のポケットから取り出し、封筒の中を確認もせずポイと投げ捨てた。

大将はちゃんとあの手紙を読んだのだろうか。
いや、あの手紙は読まなかったんじゃないかなと勝手に思っている。

あの時、手紙を捨てるのを見て、嫌な気持ちにならなかったことが不思議だ。それは、「ずっと店が続いてほしい」と思うのは、単なる客の「エゴ」なのでは、と思ったからかもしれない。だから、あの光景が無性に納得できたのだった。妙だけど、これが「樽」での最後の思い出。

もし「樽」がまだあったら、あの人もあの人も連れて行きたいなぁ。あの人もあの「生いっちょう!」を絶対に気に入ってくれるだろうなぁと思っている。「樽」の音風景を聞くと、私の「樽」への思いがまた少しだけ濃くなる。


「生いっちょう!」




KIYOSANA  キヨサナ
京都の銭湯・源湯の中2階のスペース「さんずい」の中の人もやっている。京都市出身在住。
https://instagram.com/sanzui.insta