FEATURE

INTERVIEW with HIROSHI NAKAMURA
on the zoom

Photographer

写真家 中村寛史
「シャッターを切る。その行為自体が写真」



それはカメラマンという職業柄か? もともとの性格か? 雑誌の撮影現場では多くを語らず、なるべく存在を消そうとしている、ように見える中村寛史さん。先日そんな彼がこっそりと近づいてきてインタビューをして欲しいと言う。聞けば、大阪で個展が決定し写真集も作る、といつになく気合が入っている様子。ということで写真家・中村寛史とは? いわく「見えないものを撮る」、そんな街の余白を浮かび上がらせるような作風はどこから?  中村寛史の歴史=中史を振り返っていただきましょう。

ーー出身は滋賀県ですよね?

彦根です。

ーー彦根はどんな町です?

おもしろいことがあっても根付かない、しょうもない町です。

ーー映画や音楽が好きだったんですよね。学生時代は『スタジオボイス』とか読んだり?

彦根に『スタジオボイス』は届いてなかったです。

ーー音楽は?

周りでミスチルが流行り出しても、自分は洋楽を聴いてて。でも『MAX』とかのオムニバスのCDに入ってる洋楽を聴いてただけで。ブラーとかオアシスとかグリーンデイとか。田舎はそんなもんです。まだインターネットもないし。

ーー学校での思い出にはどんなことが?

中学の美術の時間に、みんなが絵を描いてるのに自分はコラージュを取り入れたりして。すごい!って先生やみんなに褒められたり。

ーーなかなか前衛的ですね。

手法だけで、なにもすごくないと自分では思ってました。でも高校に入っても美術の先生に気に入られて。進路相談もして。デッサンも習いに行きました。

ーー美大を目指して?

そうです。高校2年のとき、1年間くらいは通ってたんですけどね。山本さんっていうおばちゃんに教えてもらってて。でも無理やなと。下手過ぎて。アメトークの絵心ない芸人みたいな感じ。

ーー犬にまゆげ描くような。

パースとか全然分かってなかった。

ーーそれで写真の方へ?

写真はボタン押すだけやから、いけるやろ?って高校生が考えるような。大阪芸大の写真学科に推薦で受かって。成安(造形大)は落ちたんですけど、もう勉強したくないのでそのまま大芸へ。


ーー大阪芸大の写真学科はみんな写真家を志す感じなんですか?

いや、自分も含めて写真をまったく知らない子もいました。当時はヒロミックスが流行ってたのでその影響だけで入ってきた子とかも。とにかく、かなり倍率が低かったので芸大ってちょっとかっこいいなと思ってる人が入ってくる感じです。

ーーそれでカメラを購入すると?

大学に入る前に、彦根の写真屋さんで安い中古のカメラを買いました。機種とかまったく分からず。それが入学してから、めちゃくちゃグレードの低いカメラやったことが分かったので恥ずかしかったですね。

ーー当時はどんな写真が好きだったんです?

当時は佐内正史がくるりのジャケットを撮ったり、自分の中に音楽と一緒に写真が入ってきたので、そこに影響受けました。将来そういう風になれたらいいなと。

ーーほんとですか?

…いや、なにも考えてなかったです(笑)

ーー大学ではどんな写真を撮っていました?

まずはスナップで。学校の最寄りの喜志駅に住んでたので、そこからぶらぶら出掛けて撮ってましたね。

ーー梅田や心斎橋に行ったり?

いや、街じゃない方に。自然の方へ。

ーー田舎から大阪に出てきたら、都会で撮影するぞ!とか考えそうですが。

そういうガッツは無い人間なので。それに学校の近くだと友達に会うと恥ずかしいから、河内長野の方に行ったり。近つ飛鳥や古墳の方とか。

ーーおじいさんの趣味みたいですね。

消極的な性格なので。でも一回生の夏休みに何かしないといけない!と。ヒッチハイクで九州まで行きました。

ーーガッツ出しましたね。

やらなあかん!という気持ちだけはあって。意を決して。ダンボールに行き先を書いて。野宿しながら。

ーー青春ですね。

19歳なんで。でも、その時に撮った写真を大学の課題で出したら、一枚だけ彦根の写真を入れていたことで先生にめっちゃ怒られましたけどね。コンセプトにうるさい先生が多かったので。写真が良ければそれでいいやん?とは思ってましたけど。


ーー写真家の佐伯慎亮さんも同じ学科ですよね?

学年はひとつ上ですね。写真学科の職員室のガラス戸に佐伯くんの写真が飾ってて、それがめちゃくちゃかっこよくて衝撃を受けました。大学で初めて写真にしっくりきたのは佐伯くんの写真です。学校で会ったことはなかったですけど。僕は2回生のときに辞めてるんで。

ーーなぜ大学を辞めたんです?

父親の紹介で、ある写真家の弟子というか雑用をやり始めて。そこに通い始めた頃、何も知らないのに“仕事取ってきたから、おまえ撮ってこい”っていきなり言われたんです。フリーペーパーに載る料理の撮影で。その写真がクライアントの人にも褒められたりして。それが学校で勉強してることより楽しくなってきて。

ーーそれで辞めると。

2回生の時に辞めて、その写真家のところに毎日通うようになるんですけど、フリーペーパーが廃刊になって…。その写真家は昔気質の恐い人で、めちゃくちゃ怒られてました。雑用ばかりで技術的なことは何も学んでないです。毎日、夕方になったらジャック・ダニエルを買いに行かされてましたね。

ーージャック・ダニエル担当。

毎日怒られ過ぎて、自分がよく分からなくなってましたね。あと、その人は賭け事が好きで強いんです。負けたらお酒を奢らされて。お酒強くないんですけど、朝まで飲んでクリスタ長堀でゲロ吐いたり。辞めたいけど“辞めます”っていう勇気はなくて。1年くらい通った時に“辞めろ”と言われてホッとしました。

ーー良かったですね。

それから天王寺の居酒屋でバイトを始めました。アポロビルの白木屋。そこの白木屋は関西で売り上げが1位の店で、バイトに命を懸けてるような人がいっぱいいて。基本的に自分はバイトとかクビになるタイプの人間なので、その人たちにもめちゃくちゃ怒られましたね。


ーー怒られてばっかりですね。

27歳くらいまではよく怒られてましたね。知らんおっさんにもなぜか怒られたり。

ーー怒られるのはなぜだと思います?

今考えたら、自分がいろいろ甘かったんですね。

ーーそこからは?

また別の写真家の人に気に入られて雑用してました。前と同じようなことになるんですけど…。

ーーまた?

怒られてましたね。なるべく厳しいことを避けて生きていきたい、という気持ちが逆に引き寄せてた気がします。

ーー自分の作品は撮っていました?

その頃、心斎橋のFUKUGAN GALLERYでいろんな人と仲良くなって。そこからアート的な活動の方に。展示をやらせてもらったり。

ーー充実してきた?

充実してきたんですけど、限界も見えてきて。

ーー限界?

モチベーションが下がってきて。スナップを撮り続けていくことは無理やと思って。27歳くらいの時に北海道から沖縄まで行っていろんなものを見て撮ったんですけど、なんか写真家であることの言い訳ができない感じになってきて。賞を獲ったわけでもないし。

ーー写真を仕事ではなく趣味にしようとは思わなかった?

自分はサラリーマンとかできないなと思って。それに毎日カメラを触る仕事に就かないと写真を辞めてしまうと思って。それでスタイリストをやってる彼女の紹介でスタジオで働くことに。そのスタジオには7~8年いましたね。

ーーそこでもまた怒られました?

怒られましたけど、1対1の関係じゃなくてアシスタント同士で相談することができたので良かった。

ーー良かったです。

そこでやっと写真の技術の基礎も学びました。ファッション誌のポートレイト写真の面白さを知ったり。しんどい仕事だったんですけど、休みの日にも練習するようになって。でも、このままアシスタントのままで終わるのはいやだったので、独立しました。

ーーそれが2015年。

技術的なことを勉強したおかげて余計な心配をすることもなくなったし、どう撮ればいいのか?が分かるようになったこともあって。どれだけ自分らしい写真が撮れるか? それに雑誌で誰が撮ったか?が気になるような写真を撮りたかったので独立しました。


ーー自分らしい写真とは?

自分の中に絵は無いけど、アクシデントというか想定していないことが面白いと思っていて。イメージを形にするのではなくて、見えていないものを撮りたい。その衝動を大事にしたいというか。

ーー撮るときは出会い頭の衝動ありきで?

撮るときは後のことを何も考えてなくて。例えば、変なおっさんがいたら撮るけど、なぜそこでシャッターを切るのか? それがイコール写真だと考えていて。行為自体が写真というか。

ーーシャッターを切る・切らないの違いを後から考えてみたりします? 

気になったらとりあえず。でも後から、この写真は良くないな、切らなくてもよかったな、と思うことも結構あります。経験値から悩んだ時に撮らないを選択することもよくあります。

ーーとりあえず撮る、けれど瞬間的に選択していると。

例えば、仕事の帰り道が2パターンあって、今日はどっちから帰るのか? そんな選択も常に意識していて、撮る・撮らないも帰り道の選択も全部繋がっていて。この道を選んだから変なおっさんに会ったとか。


ーー予定されている写真展『中史』はいわば行為の軌跡? 今回は書店での展示ですが、どんな写真展になりそうです?

軌跡とも言えますが、それよりはインスタレーション的な側面、展示する場所とうまく調和が取れたらいいなと思っています。

ーーちなみにSNSで見せることと展示の違いをどう考えています?

SNSで写真が微妙と言われても別にいいけど、展示で微妙と言われたら悲しい(笑)

ーー今回、なぜ写真集を作ろうと?

展覧会をやりましょう、と(LVDB BOOKSの)上林くんに声を掛けてもらって。でも、展示しようと思う写真を数枚を見せた時の反応が微妙で(笑)。写真集のようなボリュームで伝えないと満足してもらえないと思ったのが動機です(笑)。あと書店での展示なので、売れるかなと。写真集もインタビューもそうですけど、編集しながら、喋りながら、自分で自分のことを理解している側面があります。

ーーでは今回の写真展に向けてひとことコメントをお願いします。

サービス精神はこれまでで一番あります。友達がトートバッグやマグネットを作ってくれたり。友達、ありがとう!って感じ。

ーー周りが手伝いたくなる才能を持ってますね。

まず自分の周りにいる人に面白いと思ってもらう展示にしないとな、とは思ってます。

ーーあの写真家の方にもぜひ見に来て欲しいですね。

いや(笑)いいです。



中村寛史 Hiroshi Nakamura
滋賀県彦根市出身。2015年スタジオ勤務を経てフリーランスに。東京都在住。「なんでも撮ります。作品も仕事にしたいし、仕事も作品にしたいです」。
https://nakamurahiroshi.net


中村寛史 写真展『中史』
会期 2022年 1月7日(金)~ 2月14日(月)1:00PM - 7:00PM 火水木曜休
会場 LVDB BOOKS(大阪市東住吉区田辺3-9-11)
https://lvdbbooks.tumblr.com