FEATURE
INTERVIEW with ELENA TUTATCHIKOVA
on walking
Artist
アーティスト エレナ・トゥタッチコワ
歩くことについて
ここではHappeningsと縁あるアーティストをご紹介します。
エレナ・トゥタッチコワさんはモスクワ出身、現在は京都を拠点とするアーティスト。
写真や映像、文章など、彼女が発表する作品はどれも“歩くこと”がその骨格となっています。
歩くことが思考に弾みを付け、創造を生み出す大きな手助けとなった。
そんな言説は古今東西よく知られているところですが
彼女の場合、歩くことそのものや道程(プロセス)自体に入り込み
つまり自身が媒体となって、鑑賞者に新しい視点のバトンを渡そうとしているようにも見える。
以下、お届けするのは京都市北部にある沢山の森を歩きながらのスモールトーク。
彼女の考えは、私たちの世界認識の方法にハッとするような視座を与えてくれるかもしれません。
ーーエレナさんの作品にはどれも歩くことが関わっていますよね。
そう。でも作品を作りたいから歩くのではなくて、私の場合は歩きたいから歩く。
ーー無目的に?
目的のない旅がいちばん貴重だと思う。もし目的があるとしたら
それは行為。“見る”とか“考える”とか。そこで例えば、自分は何に向き合っているのか?
世界をどう捉えてるのか? とか。
ーー歩くとそんな問いが自然に生まれてくる、と。
歩くプロセスの中での思考を観察することがとても面白いと思う。
それに、歩くことでひとつの身体にはいろんな可能性があることが分かってくる。
ーーどんな可能性です?
当たり前だけど、映像を撮っていても音は聞こえる、音を録っていても目で何かが見えていることとか。
例えば、特定のメディアを扱っていると自分の枠みたいなものを作り出してしまうことがありますよね?
映像作家は映像だけ、音楽家は音楽だけ、というような。でも本当はもっと自由というか。
ーーエレナさん自身もアウトプットするメディアは写真や映像だけでなく、詩も綴ればドローイングも。
もともと人間はマルチだと思っているし、人間自体がメディアというか。
ーー歩くことでそれを確認できる?
そう。だから、ときどき考えられないくらいの距離を歩いてしまいますけどね。
ーー先日、京都から奈良まで約40キロも歩いたそうですね。モスクワにいた頃からよく歩いていました?
小さい頃からお父さんとよくお散歩していて。朝に出て、晩ごはんくらいに帰ってくる散歩。
ーー体力はもちろん、好奇心やなにか発見する力がないと続かないですよね。
その発見力も実際の体験から生まれると思う。
今は自宅からVRなんかでいろんな景色を見ることができるけど
それは誰かが作った情報に過ぎなくて。実際はその場所を体で感じて、思考もして、
それで初めてその場所を知ることができると思う。情報と経験はぜんぜん違う。
ーー無目的の理由を他に挙げるとどんなことがあります?
無目的というのは人間特有で。だから考えてみると、人間の世界との関わり方って
本来そういうことなんじゃないかな?と思って。
世界を知る、ということはどこになにがあるか?を覚えることではなく
その場と自分の関係性を作り出していくことで。
その世界にいる自分を確かめてるような感じかな。
歩くと世界との関わり方ができる。
ーー世界との関わり方って?
例えば、行く場所を地図にピンで留めて、その間を電車やバスで移動しても
私の場合は頭の中に地図が完成しないというか。腑に落ちない。
ポストカードを見ている感覚ではなくて、つながりの中でその場所を経験したい。
ーー世界との関係性をどう持つか、と。
あと、自分で歩いて場所との関係性を作ることもそうだけど
そこに住むひとたちと場所の関係性にも関心があって。
私のフィールドワークの大事な一部です。
以前、茨城の大子町で林業の仕事をしている人たちに話を聞く機会があったんですね。
彼らは森の音にとても敏感だった。だから森の音の地図を一緒に作りましたね。
彼らは音楽家ではないけど、とても耳がいいし、音の捉え方が自分とはぜんぜん違うのが面白くて。
ーー耳で捉える、知らない世界を教えてくれたような?
そう。時間の感覚も変えてくれたというか。自分は時間すらない感覚、
人間的じゃない時間を見つけたいと思っていて。
例えば、歩いていると、時間や景色がシフトしてズレていくでしょ?
それが続けば自分の感覚を疑ってしまうし怖いけど
それは新しい世界を捉えているということでもあって。
ーー迷子の視点でこそ見えてくる世界?
世界の新しい捉え方を見つけるというか。
ーーなるほど。
だからその捉え方を自分なりに表現するために
(作品を制作するときに)どんなメディアが適しているか?は
その都度その都度でいいと思ってる。写真かもしれないし
音かもしれない。言葉だけでもいいかもしれない。
ーー最近はスケッチで木の絵を描いているんですよね。
最近は、特にドローイングが好き。この一ヶ月は毎日、一日一木を描く。
実際にその日見た木とか、記憶の中の木、想像した木。
歩いて見た時の記憶を頼りに家で描くのが面白くて。その場で描くのではなくて。
歩いて見た道が記憶の中でどう変形していくか? そこでどう新しい風景を
ドローイングで作っていけるか? そこに興味があって。
写真や映像、ドローイング、もちろんメディアごとの専門的なクオリティは重要だとは思うけど
どんな世界が見せられるか? が大切だと思っています。
これからまだまだ音も作りたいし、詩も書いていきたい。
だから歩き続けたいですね。
On Walking
with ELENA TUTATCHIKOVA